十月一日(火)

 会議があったので義務感のようなものから前日のセッション22のあいとり特集を聴きながら向かった。表現の自由というよりも差別されない権利、脅迫を受けない権利とすべきとする木村さんの話はクリア。

 国会図書館に移動してコピーを取る合間に『メタモルフォーゼの縁側』を読んでいた。合間合間に時間がないことと向き合わざるを得ないのが興味深く、それは当人も周りも感じることとして描かれる。

 気が向いたので両国の復興記念館に足を伸ばす。震災写真の捏造という興味深い展示を見ることができたので収穫は大きい、というか今さっきコピーしてきた資料もそのなかに含まれていてぞっとした。写真の捏造の心性は流言飛語に通じていそうだ。情報の少なさとセンセーション。都市のなかの伝書鳩も気になる存在だった。やたらと小学生がいたのは今日が都民の日だからだということに気づいた。これも後藤新平案件。

 ラジオを聞いているとどうやら9・11後、鉄道を見ると彼らは泡を吹いて倒れるという揶揄からフォーマーと呼ばれるアメリカの鉄オタはテロリストに間違われることが相次いでいるらしい。というのも彼らはカメラをもって普通は人がいないところを歩き回っているからだとか。遊歩 in USA もなかなかしんどいものがあるね。

 中川