十一月十八日(水)
『良質な質的研究のための、かなり挑発的でとても実践的な本』を読んでいるが、著者がハーヴェイ・サックスが好きなのは分かるけれども、これが果たしてEMCA的な考え方なのだろうか・・・?と思う記述が散見されて読んでいて結構気持ち悪い。
Reflections on Learning Sciencesにグリーノが状況論の発展について振り返っている章があることに昨日研究室で気づき、読んでいたらブリジット・ジョーダンがミシガン州立大学でInteraction Analysis Laboratoryというのを開いていて、毎週データセッションをやっていたという話が出てきた。パロアルトのIRLとは別のグループで、そこでシンボリック相互作用論と会話分析が学習の議論に持ちこまれたということが書かれている。サッチマンがIRLにいたからEMCAと学習科学というテーマはそちらしか考えていなかったけれども、ジョーダンは重要人物かもしれない。そこからロジャース・ホールとリード・スティーブンスまでの流れは実は全く勉強できていないので勉強したい。ジャスミン・マーもそこだから。
あとこの章には状況論が「西海岸」で認知主義が「東海岸」だというまとめ方がしてあってやっぱそういう言い方あるんだなと面白かった。
相互行為における「訂正」(making correction)の概念を知って「これだ!」と思っているわけだが、シェグロフの定義では the “replacement of an ‘error’ or ‘mistake’” by what is “correct” だというのは重要だなと思っている。つまり、「訂正」の基底的概念に「置き換え」があるということだ。教師が存在するフォーマルな学習場面では、正しいものと間違っているものが定義できるからこそ、正しいものへの置き換え=訂正が可能になるが、インフォーマルな学習場面ではそもそも正しいものの定義ができない場合もある。しかし、そういう場面でも「よりましなものへの置き換え」などは起こっているはずであり、そこに相互行為として学習を理解する鍵があるように感じる。吉川さんの分析でも「置き換え」はピアノの個人練習を成り立たせていた。訂正や置き換えは自分が相互行為分析に取り組んでいくうえで重要概念になると思うので注意していきたい。
ていうか教室であっても学習者が問題に取り組んでいて、それに対して教育者が答えを提示することがない場合、そこでの問題解決で起きているのはまさに訂正ではない置き換えではないか。そして三宅なほみの建設的相互作用ってまさにそれを明らかにしたのではないか?
そういえば発達心理学にmicrogenetic analysisというのがあったが、相互行為分析とどう違うのだろう。
杉山
十一月十六日(月)
博論後に何をするかをここ1年ずっと考えて未だに決定打はないが、現在は「ライフヒストリーを聞いて重要な経験を抜き出す」形式の研究アイデアしか浮かばなく、読んでいる論文もその形式にしたがっている状況からの脱却、がテーマになっている。研究の主題よりも方法論の問題。方法としてインタビューしか使えないというのはこの先の研究可能性をとても狭めるものだろうし、質的研究の専門家としても片手落ちだろうから、「数年」ではなくて「数秒」の相互行為を分析できるようになりたい。エスノメソドロジーや会話分析は社会学で発展してきた方法ながら学習科学でもニーズがあり、自分が身につけるには最適だろうと長年思ってきたが、やっと勉強する気運が整ってきたという感じがする。
相互行為分析をやっていて「これは面白いぞ」という論文に立て続けに出会っているのが大きい。まずマスコミ学会で『楽しみの技法:趣味実践の社会学』のワークショップを聞いてふんふんと思い、その後大島先生にICLS投稿セミナーで教えてもらったMa & Hall (2018) を思い出して冒頭を読んでみたら「アンサンブル学習」という概念の重要性に膝を打ち、そしてIvaldi et al. (2021) のパフォーミングアーツレビュー論文を読んで――自分のフラメンコ経験を想起しながら――確かにEMCA研究を蓄積していくと現象が捉えられるようになっている!ということを実感した。特に「訂正」は学習にとって大変重要な実践だと思うので、ここを掘り下げたいという気分になっている。
杉山
七月十日(金)
七月一日(水)
10時に起きて紅茶を淹れパンを焼く。
11時から共同研究のミーティング。
大将弁当を買いに行き、ついでに学会年会費を払う。
助成研究のほうのアルバイト打診のメールを書く。
一昨日の先生との研究相談をふまえて博論2章を微修正する。余計な「論」を語らなくても全然よかったことに気づく。
3章も少し書き始めた。
杉山