二月二十九日(土)

12時半に起きて紅茶を飲みパンを食べる。家でセミナーをする気分ではなかったので支度して研究室に行く。Sくんから連絡があるまでは博論の1章を印刷したものを読みながら文章を直していた。

水曜に研究室の人と博論茶話会をやってから考えて気づいたことだか、これまで趣味における興味の深まりを研究する工学的な意義が明らかに書けなかったのは、シンプルに「趣味が続けられない」問題があることを言及していないからだったはずだ。趣味は興味を追求する活動ですよ、やっていきましょうね、だとなぜ必要な研究なのかよく分からなくなり、それで人生100年時代とか趣味の手に負えないものに結びつけてしまう。しかし趣味によって人生の意味を見いだそうとした人たちも趣味を続けられないことがあるのだ、ということを示せば、趣味からでしゃばらずに趣味を研究する意義が見えてくる。藤本さんにもJSETの研究会で「どうやったら趣味が続けられるかということだと思いますけど」と言われていたことを思い出した。

そして、その観点でシリアスレジャー研究を調べなおすと、ちゃんと abandonment of leisure career レジャーキャリアの断念に関する研究は行われていた。その中で「興味を失う」というきっかけの存在や、これまで好きだったことができなくなる「罪悪感」などが示されていて、素直に自分の研究につなげられそうだった。博論茶話会やってなかったらこれらの研究をレビューするアウトラインになってなかったのだから、大きな進歩だと思う。

Sくんとの余暇論セミナーも、自分たちが投稿以前から問題関心としていたことが査読対応を経てクリアに表現できるようになっていて、論文を直しながら発見があり面白い。この調子でまとめたい。

夜は目黒に行った。

杉山