五月十六日(木)

 スキャナーに生きがいはない、ということは分かっているが大学に来てからすぐに研究に取り掛かれる感じがしなかったので、スキャナー仕事を進めることにした。資料に強い折れ目がついた状態をなんとか直してスキャンするということがそれなりに大変だったため、こういう紙の資料は入手した瞬間にスキャンするのがもっとも効率的だということを再確認した。ラジオを聞きながら進めていたらあっという間に時間が経っていた。

 市区改正についての言説が少しずつ集まってきたように思う。そこで問題視されているのはやはり「商利」だ。要するに、市区改正は既成市街地の改造であり、そこに住んでいる人は基本的に商売を営んでいるのでどこに立地しているのかということが営業にとって重要な因子となる。市区改正はそれを大きく揺るがせる事態だったということがようやく飲み込めてきた。

 最近、昔のゴジラ映画を見るようにしているが、映画のなかで新聞記者やゴジラを伝えるラジオ、テレビなどのマスメディアがが重要な役割を果たしているように描かれている。ゴジラ(ではなくモスラでもキングギドラでもいいが)を調べるルートは2つあり、一つが「科学」で、もうひとつがジャーナリズムなのだろう。というか、その二つのルートを組み合わせることで観客もゴジラの正体について少しずつ知っていくという構造になっている。というか、この二つのアクターが存在しないと物語が成立しないのかも知れない。「ゴジラとは何か」という問いに対して答えを与えるという意味において、その両者は機能的に等価なのか。

 中川