三月二十三日(土)

 昼前に起きてカレーを食べる。

 大学に行き、1930年代の『都市公論』の議論についてざっと確認していく。都市計画の議論が専門化したからだろう。市民に対して都市計画と一緒に都市の概念を伝えるというフェーズではなくなっているようなのだ。1920年代のような勢いのある面白さとは異なって、技術的な話が多くなる。専門知識の共有という側面が強くなっている。そのなかで石川栄耀の論考は異彩を放っているが、石川の議論にしても都市計画は地主に対して働きかけるものという明確な線があるからだろう。都市計画を区画整理の技術論から愚直に考えていく姿勢もそれに通じている。

 明後日の発表のためにこれまで調べたことをまとめ直していたが、神戸の都市計画とメディアのかかわりはやはり注目すべきだと感じた。石川栄耀の名古屋の試みも、地方紙に注目してその報道のされ方を検討しなくてはならないのではないか。

 中川