一月二十四日(木)

9時半に起きてシャワーを浴び、野菜炒めと目玉焼き、バターロールと紅茶で朝食をとる。ひさびさに『オープンサイエンス革命』を読んでいたら市民科学者による学習の問題が出てきたので、ドライブに書き込む。

13時前に本郷に着いてコモンズインタビュー1件をこなし、ゼミ。M0やM1の発表にコメントする。ゼミ後にインタビューをもう1件やってから、写真調査で残していた文字起こしと分析で日付が変わるまで過ごした。

Connected Learningの研究者と自分が一番違うであろうところは、自己主導的に機会構造をつくり出していく趣味人がいた時に、うまく結果に組み込めないことだ。彼らなら、興味駆動の実践がもつ可能性を示す事例として、むしろその趣味人を主要な結果とするだろう。でも僕がインタビューしている限り、そんな人には1人ぐらいにしか出会わない。アマオケ調査のときも、ひとりだけ自分でオーケストラを立ち上げた人がいた。今回は、ひとりだけ自分から写真展を開催した人がいる。趣味縁のおかげというわけでなく、自分に欠けていると思った環境を自分からつくっている。だから行動としてはシンプルなのだけど、逆にそういう短絡的な経路を描いていないので、モデルに組み込めない。

大変自己主導的な人を対象にすると行動モデルがシンプルになるというのは、今まで考えていなかったけれど、結構本質なのかもしれない。そのせいでConnected Learningの研究結果が紋切り型になるのかもしれない。逆に言えば、そんなにひとりで自己主導的に何でもできるわけではない人を相手にする時ほど、細かなプロセスを追える観察眼が必要になる。教育学全般がそうだな。できる人はできるから視座も単純で良いんだけど、できない人のできなさを知るためには詳細な分析が必要になる。

杉山