十一月二十六日(月)

8時半に起きてシャワーを浴びて新宿へ。らんぶるでモーニングを食べながら出版企画の打ち合わせをする。とりあえず最低限度の骨格はできた一方で、もう少し面白そうな形の企画にできないかと片隅で思っている。「うわ、これは読まなあかんわ」と一目見て感じる本にしたい。

打ち合わせを終えて田端に帰る。昼食をとり、目次構成を清書して送っているうちに夕方になった。sくんから帰宅の連絡が入ったのでZoomをセットアップする。権田保之助『民衆娯楽の基調』を講読するセミナーを始める。

セミナーではテクストを2人で読み上げながら、内容を確認したり、疑問を出したりする。シンプルに「読む過程の共有」をする形式だ。これまでの読書会では、「読んだ結果の共有」をすることが多かった。けれど、この形式では思考のほとんどが個人に委ねられてしまう。テクストを読み、それを理解し、レジュメに書き、会で口頭発表する――ここまでの過程を、個人の認知能力に依存していては、結局もとのテクストからは離れていってしまう。各人が読んできて読書会で議論するのは、要は反転学習である。これは相当綿密に課題設計しておかないと機能しない。せっかく集まって議論しても、協調活動のポテンシャルは引き出せないのである。そういう読書会はたくさん経験してきた。結局テクストの話はしなかった、みたいな。ならばもっとシンプルに、一緒にその場で読むという形式のほうが集合的知性は機能するのではないか?

この形式ならば「準備」の手間もない。毎晩30分だけ身体を自由にしてさえいれば、あとはその場でテクストを読み、討論するのみである。だから生活習慣として読み、勉強できるようになる。大学の外にいる研究者たちにとって、時間あたりの知識の産出効率はシビアな問題だ。会社勤めしながら研究するのを可能にするルールとインフラづくりを進めていきたい。

杉山