十月三十日(水)

9時に起きてシャワーを浴びて紅茶を飲む。パンとバナナヨーグルトを食べて支度して出かける。研究室によってワークシートを回収してから非常勤へ。今日は問いの生成の回だったが個人面談でコマまるまるつぶれたし、話聞けなかった学生もいて申し訳なかった。

退勤後は研究室に帰って事務作業をしたり本を借りたりしたあと、猫田さんと会って麺覇王に行く。近況ということで最近の趣味研究の話をする。猫田さんはいつの間にかワークショップ実践者になっていて驚いた。

途中から彼女も合流して話した。「研究の話されてどう思う?」と聞かれた彼女が「天職見つけたんだなーって」と答えていたのがおもしろかった。

LINEでsくんに1941年の国民生活時間調査の「趣味」項目を見てもらったら「ほとんど遊芸と同じ意味」と言ってた。歌川さんの本を読んでも、女子のたしなみ・稽古文化の歴史という観点から遊芸から趣味への移行があったことが分かる。41年の時点で趣味と娯楽が区別されているということは、まだ趣味にはテイスト・修養のニュアンスが残っていることが分かるが、それが1970年代ごろには「趣味・娯楽」、現代では「趣味・娯楽・教養」と並列させられてしまっていることを見ると、一応「趣味」という言葉は残っているものの、修養的なものを別カテゴリーで取り出す必要性は戦後史において失われていったのだろうと考えられる。女子の余暇活動が上昇婚の資源になるというリアリティがなくなったということだろうか。

いずれにせよ、規範的な価値を身ぐるみ剥がされて雑多なカテゴリーとなった「趣味」(スポーツや旅行の方が政策的には重視されているからこそ別カテゴリーが用意されている気がする)の中から新たな価値を再発見するのが趣味研究を成立させるうえで必要な作業になるだろう。猫田さんは「最近読んだ『「雑」の思想』みたいな話だと思った」と言っていた。シリアスレジャー論にはそれがあるからこそ、こんなに注目してしまうのだと思う。

杉山