六月四日(月)

スローダウンしていきたい月曜日。
昨日のイベントではずっと立ちっぱなしで、へとへとになった。
帰って来てからピザを食べながら映画を観て、幾分か回復していたけど。

特に何をやったわけでもなく、午前中が過ぎる。
コーヒーを淹れて、三日前の日記を書いたらもうお腹が空いて来た。

お昼にカレー屋さん。久々にチーズナンを食べる。
5%オフのチラシを持って行ったら、
レジのお兄さんが計算に困っていて、
「いくら?」と聞かれたので計算して答えた。
こういうの、嫌いじゃない。

帰って旅の準備をしようとしていたのに、
寝落ちしていた。

とても疲れている感じがして、自分のベッドに横になったが最後、
二時間半ほどの眠り沼から這い上がるのにめちゃくちゃ体力を使った。

最近、眠りから覚めたくても覚められないときに、
地震が起きているように感じる。夢と現実の狭間。
揺れているのに眠気が強すぎて起き上がれない。
やばいかも。でも体が動かない、眠い。
そんな苦しみと寝汗でぐっしょり。

やっと起きて、しげしげの開く場に行った。
場所の変更に道すがら気づく。
地下鉄の車両に一度乗って、ドアの閉まる前にさっと降りた。
ギリセーフ。

四月のリトリートで過ごした仲間は半分家族みたいな感覚なので、
会えるだけで嬉しい。
それに加えて、情熱や力を注いで来ているナリワイに触れられるのは、なお嬉しい。

ストーリーには力がある。
自分の活動を伝え、想いを共有し、人の関心を誘い、社会への働きかけを促す。
そんな力を構成する一部、「ストーリーオブセルフ」を作る。

人のストーリーを聴いて反応する部分は聴き手によって違う。
私は、自分の中にパズルのピースみたいな、体験のカケラがあって、
特にまだ絵にしたことのないものが「ここにいるよ!」と疼く感じがした。

逆に自分が何度もパッケージングして人に語って来たことがあるもの、
絵にしたことがあるものはさほど反応しない。

しげしげのストーリーを引き出す問いかけを聴いていて、
誰かの背景の背景が知れて行った時の、聴き手の納得感を味わった。

私は、誰かに傷つけられている・嫌だと感じるときも、
その人の背景の背景を知ろうとできるだろうか。

健太郎と恵比寿で合流して帰って来た。
駅前で夜中に蕎麦を食べる。
とろろだけを汁から掬いたいよね、と話す。

くのちゃんと瀬戸くんと四人でゴミ出し祭り。
いよいよ生ゴミの香りが主張する季節がやって来た。

今日一日を言葉にする。

もうじきに下弦。
寝待ち月というらしい。


ゆり