五月十九日(土)

辛かった。どんな選択をしても辛い決断だった。

やっとそう感じられたのが次の日の夜中二時過ぎだったので、書き遅れたのを許して欲しい。
最近の変化には、体も心も、着いていくので、自分の心に留めるので、精一杯だった。

一日渋谷。健太郎とそのコミュニティに浸かりに行った。
「住む?」と言われてからちょっとの期間で色々進んで行ったのだけど、自分の心はふわふわと、イエスともノーとも感じられないものだった。何も感じなかった。その期間に起きた状況的な変化たるや。

こちらに住めばあちらが立たず、こちらを選ばないのは怖れからなので、きっとこれからもひずみが出る。そんなパラレルワールドの狭間に落ちた、もとい、自分を保留していた感じ。

まだ眠ってたいよ。と言っていた心身が、「もうすでにそういう自分だよ」に変わっていく必要がある。
すでに私は起きている。そしてゆったりと構えることもできる。
これは、ひとつ大きく広げる行為。

あのコミュニティに行くのは、活動的な自分を起こす必要があって、焦りや忙しさ、盲目的で止められない勢い、全体性のなさ、見落とし、大切な人との繋がりを脇に置く、不安に貶めるものだった気がする。言語化難しい。
ただ、その箱をもう開けてしまったからいろんな選択をして行く必要と責任が自分のところに戻ってきた。
そして、もうこれまでとはすでに違うフェーズだから、進んで行くしかない。

多分、大丈夫。実は進んでみたら力みなく自然にいられる気もする。
パラレルだったものが全部合流して融合して行くくらいの自分の器になるしかない。
全部をちゃんと感じ取って、自覚的にドライブすることも、すでに在る自分を生かして社会と関わりあって行くことも、大切な今と見ている未来をより創造的に出現させて行くこともできる。

そういう自分でいるよ、そういう私たちでいるよ、と感じて開いていくことだけ。

言葉ってすごいね。書いてたらそんな気になってきた。


ゆり