三月二十日(火)

いつものごとく昼前に起きて、パンを買い紅茶を飲む。昼過ぎに研究室に出て、事務作業。夕方になって駒場に向かいフラメンコ。Lucyでカレーを食べて帰る。

 

昔のことを思い出していた。

 

「生活」への関心は割合昔からあった。読書ってカッコいい、と同じで、最初はカルチャー&ライフスタイルみたいな文脈にあったと思う。『BRUTUS』はよく読んだし、元町の雑貨屋に行くこともあった。

もう一つ大きいのは西宮の大谷記念美術館で「ウィリアム・モリス展」を見たことだろう、そこではじめてアーツ&クラフツ運動を知った。「いちご泥棒」のテキスタイルを印刷して机に飾ったりもした。これが高校2年生くらいまでの話。

そこから東京に来たけれど、「サブカルチャー」にはあまりなじめなかった。駒場に通っていたぶん、もう少し世田谷や杉並で遊んでもよかった。それは友達がいなかったせいもあるし、「作品」について語ることに面白さを見いだせなかったせいもある。まわりには、ヨーロッパ好きのロマン主義者や、大衆文化好きのシネフィルみたいな人がいた。そういう人に比べると、文学にせよ、美術、演劇、映画にせよ、それなりに好きだけれど、とても好きというわけでもなかった。本郷で泉鏡花論の講義を受けたときも、つまらなくてやめてしまった。

駒場の2回生の時に、超域文化研究科が主催して「生活と芸術」というオムニバス講義があった。それなりに面白かったけど、進学して取り組みたいとも思わなかった。柳宗悦というアイコンがいたところで、それが「生活」には感じられない。いまどき、民芸品を使って暮らす人がどこにいるだろう。

 

本郷の3回生から修士1年生までのあいだは停滞していた時期だと思う。まちづくりやアートプロジェクトに多少興味を持ったけれど、そこに進路を取りたいとはならなかった。研究はしたかったけれど、漠然としていた。「自分らしさ」の頼みの綱としてフラメンコを持ち出して「アマチュア芸術活動」に焦点を当てようとしたけれど、何の発展性もなかった。

 

風向きが変わったのは修士2年の時で、まず研究テーマがはっきりしたのに加えて、エスノメソドロジーライフヒストリーの二つの社会学潮流を学んだのが転機だと思う。酒井さんや小宮先生の講義、「実践学探訪」のブックフェア、『現代思想』に載った岸先生の論考・・・・・・そういうものを通して「生活」だとか「普通」だとか「日常」を見る視点――岸先生の言葉でいうなら「人間に関する理論」――を素直に面白いと思った。ちょうどアマチュア・オーケストラ団員へのインタビューをするなかで「はじめてオーケストラに出会う」経験の多様性に驚いていたこともあり、なおさら自分ごととして捉えられたのだと思う。

そういう学問的な視点と同様のものが表現の領域にもあることも教えられた。松本さんがよく家に泊まりにくるようになって『はな子のいる風景』の制作過程を垣間見た。野崎さんが勧めてくれた滝口悠生の小説にも同じ表現があった。そういったものを通して、日常経験を集積させることで何かを見いだす手法――スタッズ・ターケルがやったような――が、学問としても表現としても面白く、自分もやりたいという気分になったのだと思う。めずらしく、今は作りたいZINEのイメージがはっきりとある。

そして、面白さを共有できる人が家に住んでいたからこそ、こうしてリレー日記も続いている。縁に感謝するほかない。僕には「チーム」や「組織」のリアリティがないけれど、少なくともこういう同好の士に支えられて生きているんだなという感覚はある。

 

 [杉山昂平]