三月十四日(水)

 いつものごとく昼前に起きる。パンを買い、紅茶を飲んで本郷へ。先生から書類にサインをもらったり、文献をコピーしたり、事務作業をしているうちに日は過ぎた。
 
 丸ノ内線で東京に出て、そのまま東海道新幹線に乗り込む。この前がいつだったか思い出せないが、新大阪に向かう。車中では、1930年代のアメリカとソ連の国家戦略と余暇に関する論文と、柴崎友香の小説を読む。滝口悠生が「パノラマ写真の継ぎ目のように、人の言葉や記憶にも、必ずちょっとズレがある。そのズレに絶望も、希望も、潜んでいる。」という推薦文を寄せている。
 まんまやん、とわろてまうね。現代作家の小説は読まないとこれまで言ってきたけれど、単にファンになれる対象に出会ってなかっただけだな。

 芦屋に帰るたびに思うけれど、国道2号線沿いの空間には余白が多くて、空が広い。マンションが多いせいか、人の気配はするけれども人影はあまり見えない。郊外性だな。
 CP+で買った写真集『Roadside Lights』も好みではあるけれど、田舎にたたずむ自動販売機のカットが多くて、郊外とは少し趣向が違う。それは、むしろ自然のなかで生きる人間の存在を強く感じさせるので、あまり空虚な雰囲気がない。やっぱり『TOKYO NOBODY』のほうがしっくりくる。
 団地的で、匿名的な生活を前提にしたうえで、でもその中からちょっとしたズレと個性をいかに見いだすのか、これが趣向の所在。

 前の研究会で「あなたの研究対象は明らかに都会的な活動なのに、都市/田舎という変数を明示して検討していない」と言われたことがあったけど、まあ、それくらいには都市を前提にしたモノの見方をしているとは思う。

 [杉山昂平]