八月十一日(日)

 9時ぐらいに起きてゆっくり準備しつつ初めてのコミケに向かう。正直どれくらいの時間がかかるかさっぱりわからない。有楽町線豊洲に着いた瞬間に何かが起きている人の多さを感じた。久しぶりにゆりかもめに乗りながら湾岸の開発をずっと見ていた。東京ビッグサイトから見える人の列はさながら万博の列のようで、あそこから並ぶ人もいるなんて難儀なものだと思っていたら5分後に自分も動線の都合上その最後尾に位置することになる。めずらしく音楽を大音量で流さないとテンションを保つことができないほどの暑さだった。評論島は人が少ないんじゃなかったのか。

 お目当ての鉄道関係の品を手に大崎に一旦向かい、そこから東十条に至る。長蛇の列になるともいうどら焼き屋は人がぜんぜん並んでいなくてどうやら常連の人も驚いているようだ。通行人が行列の少なさに言及することなんてあるんだね。この際、もっと買っておけばよかった。

 ここまでで若干の疲労を感じていたのだけれど、せっかくだから前から気になっていた北区中央図書館に向かう。ここはもともと銃包製造所などがあった軍都であり、その名残を建物もとどめている。図書館に至るまでの東十条は曇り空のなかそこはかとないうらぶれ感と不穏さがあって想像上の黒沢清感を覚えた。

 篠山紀信が土木を撮影した『現場紀信』がキャプションの意味の無さも含めて最高だった。とはいえだいぶ頭もクラクラしてきたので長居を避けて早々に家に帰り、荷造りをした。

 中川

八月十日(土)

9時前に起きて支度をしてsくんと出かける。電車に乗りながら学習生態系の話をした。

コモンズでチャーリーくんと堀江くんと待ち合わせて、麹町コーヒーでブランチをとる。久々に堀江くんと会ったので近況をいろいろと話す。自販機は労働者の作業着が汚れたまま買えるから普及したという話を聞いて感心した。そこから港湾に話題が広がったり、堀江くんが昔メロンソーダのレビュー誌をつくってコミケで売っていたということを聞いた。「まだ色々と未分化だったからサトケンゼミとコミケが同じものだと思っていた」という一言がおもしろかった。

昼に解散してUTalkへ。最近はアシスタントも安定しているのでつつがなく終わった。

後片付けをして恵比寿へ。彼女に会って外苑前の花火を見に行った。横から花火を見たいとのことだったので最初は代々木公園の方に行ったがビルに遮られてあまり見えない。「ビルの向こう側に行こう」と話して外苑前の方へずんずん歩いて行った。デートのときはだいたいよく歩くな。標高の高いところを地形を頼りに探していったら、路地の先に陸橋があって、ビルのすきまから大きな花火が見えるところにたどりついた。そんなに人もいなくて20分くらい眺めていられた。

帰ってきてからGoogle Mapで調べたら外苑西通りにかかる「原宿陸橋」だったようだ。ロケ地として有名らしい。

花火を見終わった後は北参道に出てそこから電車に乗り、途中の東新宿で晩飯をとって帰った。

杉山

 

八月八日(水)

8時に起きて紅茶を飲み支度をして本郷へ。コモンズのコロキウムスポットでM1のミニゼミだった。2人とも着々と進んだ感じがする。

みんなでダージリンに行ったあと、研究室でパパート関連の情報を調べる。ピアジェの言うように日常生活のなかでの試行錯誤によって知識は構成される→しかし日常生活において試行錯誤できるものが多様でないと様々な知識(人類が普遍的に到達する基礎的な論理概念ではない高次の知識)は構成できない→コンピュータによって日常生活において試行錯誤できるものを増やしてあげれば、構成できる知識も多様になる。これがパパートの教育工学の本質だということが分かった。教育という営みを、学校運営ではなくて生活改良と捉えているところが共感できるところだ。「どうやって知的に暮らすか」という問題なんだよな。

途中から眠くてしょうがなかったのでソファで寝ていたら1時間経っていた。汗もかいて頭もぼーっとしてあまり良くない感じになった。

御徒町で天下一品を食べて帰ろうと思ってsくんに連絡したらちょうど帰宅途中だったので合流する。ラーメンを食べ、山手線に乗って田端に帰り、余暇論セミナーをした。「女子が家庭で行う余暇活動をどう価値づけるか」が近世から近代にかけて変遷していることを描くという理解に到達した。

杉山

八月八日(木)

 久方ぶりのオリンピック科研だった。自分の準備に対して若干の疑問を抱きつつも神田市場についてもっていく。谷中の話で日暮里の方の葬儀場の話を思い出したがそこまですると範囲を超えてしまう。考えてみれば、このあたり一帯は東北新幹線がゆっくりと通り過ぎているエリアでもあるな。墓とラブホテルの話には笑ってしまった。全体の話を聞いてなんとなくまとまりもつけられそうなので一安心する。個人的には高架下・ガード下という特有の空間についても少し考えたいところであるけれど。

 そこから明日の祐成ゼミのほうの準備を進めたがこちらのほうがむしろ難航している。記述はなんとなく進んでいるが明らかに分析が足りていない。関東大震災まで見ればわかってくるのだろうか。久しぶりに深夜まで残って作業をしていたがここで思わぬぽかをしでかして夜は終わらなかった。

 中川

八月六日(火)

朝五時に起きて、寝床でぐずぐずしたあと六時前くらいにパソコンに向かい、論文の手直しをした。

朝食の時間はテレビがないので毎朝Abemaのニュース番組を流している。それで広島の原爆の事を思い出す。

いよいよ抱えていた案件が始まった。相変わらず上司との意思疎通はうまくいっていないので、問題が発生した。丸め込んでもらう。

そのあと敷地内を走り回ったりしているうちに、一日が終わっていた気がする。朝の広島のことは夕方、仕事明けに思い出した。

明日からまた東京へ戻る。が、その準備は明日にしようと思って八時に寝てしまう。9時間くらい寝ている気がする。

S






八月五日(月)

 今日は長めの待機業務である。これまでにはなかなか見られなかったトラブルの対応とウォールの開け締めを確認することができたのは良かった。休憩時間中にちょっと外を歩いて日光成分を確保した。御厨の先行研究に対して何を付け加えることができるのかというのが正念場だ。

 中川

八月四日(日)

9時に起きる。紅茶を飲みながら査読対応を進める。How People Learn Ⅱのコンセプトがインフォーマル学習の知見を取り入れることだったのを発見したので序論で採用することにした。

12時前に家を出て山手線で田町へ。西尾と合流して昼飯を食う。イタリアンソースのチキンカツうまかった。

そのまま東工大の芝浦キャンパスで高等教育セミナーを聞く。教養教育と一般教育は高等教育史的に別物であるのを知って勉強になった。エリートのための教養と、市民のための汎用的技能はたしかに違うものだ。

セミナーを抜けて芝浦ふ頭まで散歩し、ゆりかもめで新橋へ。乗り換えて御徒町に出てみんなと合流する。安い中華屋で飲み会し、その後は秋葉原まで歩いてバッティングセンターに行った。

杉山